旅先の歴史や文化を知ることは、旅の楽しみの一つですよね。 豊かな自然とともに歩んできた嬬恋村の奇勝・史跡・文化財を紹介いたします。

村内各所から出土した土器等から、縄文・弥生時代の暮らしが推察されています。

荘園時代は、三原荘に属し、滋野一族の支配下にありました。後に戦国時代は、武田氏・真田氏により沼田領となり、江戸時代【天和元年(1681年)】の真田氏改易の後は幕府直轄地となりました。江戸時代には北国往還の裏街道として交通が開け、大笹には関所もあり、宿場として荷物を運ぶ人馬の往来でにぎわいました。また、天明3年(1783年)に、浅間山の"浅間焼け"と呼ばれる歴史的な大噴火では、火口からの土石流が鎌原一帯を襲い、旧鎌原住民約750人のうち、鎌原観音堂に駆け上り難を逃れたのは、わずか93人。残りの人々は土石流の犠牲となりました。

現在の嬬恋村は、明治21年の市町村制の公布により11ヶ村を大字として、翌明治22年に誕生したものです。

 

上信越高原国立公園鬼押出し園

世界三大奇勝

鎌原観音堂

日本のポンペイ

嬬恋郷土資料館

つまごいの歴史を読む

浅間山溶岩樹形

日本で見られるのは2箇所



雪山讃歌の碑

電車内チャイムにも使用

 

百態観音

旧鹿沢温泉、湯道に並ぶ100体の道しるべ観音。

鳥居峠

群馬の端っこ

 

大笹関所跡

沼田藩主真田伊賀守建設

 



雪山讃歌の碑

電車内チャイムにも使用

 

中居屋重兵衛

生糸貿易発展の立役者

 


美しい響きを持つ「嬬恋(つまごい)」の名の由来は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が吾妻山(四阿山)の鳥居峠に立ち、亡き妻・弟橘姫(オトタチバナヒメ)を偲んで「アヅマハヤ(ああ我が妻よ)」と嘆き悲しんだ、という伝説によります。これにより、この峠の東の諸国は「吾嬬国」と命名され、嬬恋の地名はこの故事にちなんで名付けられました。